コラム「前野宏のホスピスのこころ」~第15回~
がんの終末期でご自宅で過ごされていた90才台の女性患者Aさんに、ある日の訪問診療の際に言われた言葉です。Aさんはいつも穏やかな微笑を浮かべている素敵なご婦人でした。ベッドサイドに置いてあったポータブルトイレを最後まで使わなかったという何か静かで強いプライドをお持ちの方でもありました。上記の言葉はいつもの訪問診療に伺った時に、Aさんが何気なく言われたのでした。我々終末期医療に携わる医師にとってこれ以上にうれしい言葉はありません。
医師の一般的な役割は病気を見つけ(診断)、病気を治し(治療)、もしも病気が治らない状況でもできるだけ長く生きるようにすること(延命)です。しかし、私のように終末期の患者さんに関わっている医師はこれらをしません。もしも若干はするとしても積極的には行いません。なぜなら、私たちは人が尊厳を持って、その人らしく終末期を過ごし、亡くなるということは自然なことであり、大切なことであるという信念を持って仕事をしているからです。
ただ、私たちは急性期医療に携わっている医師達のように、患者さんの病気が治った時や患者さんが良くなって退院した時に、「先生のお陰で助かりました。」というような言葉によって感謝されることはありません。私たちが関わる患者さんのほとんどは亡くなられます。つまり、私たちの医療技術が患者さんやご家族から褒められることはほとんど無いのです。
しかし、Aさんのようなことを言って頂くことがごくたまにあります。そしてそのような瞬間は、全くこちらが思いもよらない時に、ふっとやってくるのです。言われた方は突然の事なので、ちょっと驚き、そしてちょっと照れくさく、そしてじわっと喜びがやってきます。そんな時、「そんなことを言ってくださるのはAさんだけです。私もAさんにお会いできることがいつも楽しみですよ。」という感謝の言葉が自然と口を出ます。
「先生の顔を見ると元気が出ます。」という言葉は私の医師としての医療技術が褒められたのではありません。私という人間存在自身が患者さんにとって安心の元になっていることであり、なんとも光栄でありがたいことなのです。しかし、このような言葉はこちらが計画して、努力して頂けるわけでもありません。何か一生懸命、まじめに医療をしていたら、ある日突然、神様からのご褒美のように与えられるような気がします。
私たち患者さんの終末期に携わる医療者は、このような宝物のような一瞬を頂くと、もうこの仕事から足を洗うことはできなくなるのです。
ホスピスのこころ研究所 理事長 前野 宏
コラム「前野宏のホスピスのこころ」~第14回~
『産んでくれたことに感謝しています』
Aさんは、70才代女性で、がんの終末期になり娘(次女)宅で過ごしていましたが、病状が悪化し、最終段階にさしかかっていました。私はその日も訪問診療を終え、帰ろうとすると玄関先で、次女さんが、「ちょっとお話しがあるのですが。」と話し始められました。「私はこのまま最後まで家で母を看ようと思っているのですが、姉や夫の両親が、『あなたはもう十分にしたのだから、もう入院させた方が良い。』と言うんです。」私は彼女の口調から、これはただならぬお話しだなと思いました。
「実は、私は親からDVを受けていたんです。私の父は私が小さい時に家を出て行ってしまいました。その後、別の男性が母と暮らし始めたのです。私が小学校の頃のことです。その人は私にひどい暴力も振るいましたし、私がお風呂に入っているところに入ってきたり、部屋に勝手に入ってきたりしました。とても怖い思いをしました。でも母は私を助けてくれませんでした。むしろ、「あんたが悪い。」とまで言われました。私が勤め始めた頃には、私の給料を勝手に持っていたりされました。私はいやになって、家を飛び出たのです。」何気なく聞き始めた次女さんの話の内容があまりにもすさまじかったので、私は唖然としてしまいました。
Aさんは北海道の地方都市で一人暮らしをしていたのですが、認知症の症状が出てきたので、札幌で結婚して暮らしていた次女さんが引き取ったのだそうです。Aさんは次女さんのお宅でも結構わがままに振る舞っていたのだそうです。そしてAさんはがんを患い、終末期を迎えようとしている状況で私たちが在宅緩和ケアのために依頼されたのです。
幼い時に親としてはあるまじき振る舞いをした母親に対して、姉や夫の両親が「あなたはAさんには十分にしたのだから、もう入院させなさい。」という気持ちは良く理解できました。しかし、次女さんは話を続けました。「私はここまでやってきて、ここで母を入院させてしまったら、一生後悔すると思います。私は母を恨んでいません。私は今夫と幸せに暮らしています。母が私を産んでくれたことに感謝しています。そうでなければ、私は彼と出会うことがありませんでしたから。」と彼女は穏やかな微笑みを浮かべながら話されました。私は彼女のことばに、ただただ圧倒され、私の目には涙が溢れていました。それから3日後に、Aさんは次女さんのお宅で息を引き取られました。次女さんご夫婦がしっかりとお看取りをされました。とても穏やかな最期であったようです。そして、次女さんからも大きな仕事をやり遂げた満足感と安心感が感じられました。その傍らにはご主人が優しく寄り添っておられました。
ホスピスのこころ研究所 理事長 前野 宏
コラム「前野宏のホスピスのこころ」~第13回~
『ホスピスのこころと中村哲先生』
2019年12月4日、アフガニスタンで活動されている中村哲先生が
凶弾に倒れたというニュースが突然飛び込んできました。
つらく悲しいニュースでした。ただ、私のこころのどこかで、
いつかこの日が来てしまうのではないかという心配があったのも事実です。
多くの方は中村哲先生の事をご存じだと思いますが、少しだけ中村先生のご紹介をしましょう。彼は、福岡出身で九州大学医学部を卒業され、海外医療協力のためにパキスタンのペシャワールで長年活動されました。その後、アフガニスタンに拠点を移して活動されましたが、「苦しんでいるアフガニスタンの人々を救うためには医療より水が必要」と考え、現地で井戸を掘ったり、用水路を作ったりする事業を手がけました。中村先生の活動は35年近く続き、「マルワリード(真珠)」と呼ばれる用水路の総延長は25kmに及び、現在では約1万6500ヘクタールの砂漠が緑豊かな農地に変えられ、約60万人の人が恩恵を受けていると言われています。日本人以上にアフガニスタン国民に愛されている方でした。
彼は常に現地に赴き、苦しみ、もだえている人々の目線で考え、行動してきました。それはまさに「ホスピスのこころ」そのものです。札幌南徳洲会病院の小冊子「ホスピスのこころを大切にする病院」の中に、中村先生の一文を載せていますので、ご紹介しましょう。
「私たちの事業は、本当に、もう本当にいろんな事の連続でしたが、いつも一貫して、人々と共にあったと思います。上からの目線で、将棋の駒でも指すように、政治情勢がどうだとか、世界戦略がどうだなどと思ったことはない。それよりも下々の人と共に揺れながら生きてきた。こういう話をしますと、皆、暗くて深刻で悲惨な表情かというと、案外そうでもないのです。
向こうから戻ってきて気になるのは、たらふく食っている日本人の方が暗い顔をしている。しかも言葉は不平不満の羅列です。これは何なのだ、と思います。
どうも人間というのは持てば持つほど不安になって顔が暗くなるらしい。何も持たない人の楽天性というのはあるのです。この子達にしても何日かご飯が食べられないと飢えて死ぬか、病気になって死んでしまう状況に置かれてしまいます。それでもやはり明るい。
私たちは援助というと、銭がある者が、貧しい哀れな人を助けるという考えになりがちですが、そうではなくて、18年間を振り返ってみますと、本当は助けるつもりで助かってきたのは自分たちではないかと思います。」(「ほんとうのアフガニスタン」より)
中村先生の残された「ホスピスのこころ」の遺志を私たちが受け継がなければならないと心から思います。
ホスピスのこころ研究所 理事長 前野 宏
コラム「前野宏のホスピスのこころ」~第12回~
『Psychological Safety (心理的安全性)』
ホームケアクリニック札幌設立から10年間、私と共に労苦して下さったMSW(医療ソーシャルワーカー)の提箸秀典さんのことをお話ししたいと思います。彼は優秀なMSWとして働いていたのですが、残念なことに50才の時にがんにかかってしまいました。彼はそれから手術を6回、その間に化学療法を受けるという壮絶な闘病生活を送りました。しかし、残念ながら病状が進み、最期に札幌南徳洲会病院ホスピスに入院しました。彼は仕事において多くの終末期患者さんと接してきましたが、最期にご自身が終末期患者となったその思いをたくさん語ってくれました。その中で最も印象深かった言葉が次のものです。「急性期病院と違って、ここ(ホスピス)は「ここにいてもいいんだ」と思うことができる。安心して過ごすことができます。」彼は、急性期病院で慌ただしく入退院を繰り返してきましたが、残念ながらそこは「安心して」過ごす場所ではなかったのです。そして、最後にたどり着いたホスピスで彼は「安心」を得たのです。私たちホスピス緩和ケアに携わる者は、患者さんが「安心」できる場を作り出すように努力をしなければならないのです。
“Psychological Safety”という概念が最近注目されています。その概念によると、「safeな場」とは、チーム内で各人が自分の思っていることを言い合えるような環境を指します。誰か権威的な人がいて、その人の前では自分の言いたいことも言えないような環境は「safeな場」ではないのです。スポーツの分野でも良いチームは選手がお互いに自分の意見を言い合えるような「safeな場」が重要視されてきました。そしてそれは医療チームにおいても同様です。特にホスピス緩和ケアのチームにおいては、いろいろな職種のスタッフが意見を出し合ってケアの方向性を決めてゆく事が重要なので、チームにおいて「safeな場」を作ることはとても重要です。
「safeな場」は医療チームにとって大切なことですが、そればかりではなく、患者さんと医療者の関係においても重要です。患者さんは特に医師に対してとても気を遣われます。「こんなことを聞いたら嫌がられるのではないか。」とか「先生はお忙しいからこんなつまらないことを言うのは止めよう。」などと考えます。ですから、私たち医療者は患者さんが「どんなことでも聞いてください。どんなことでも言ってください。」という雰囲気を醸し出さなければなりません。
特にホスピス緩和ケアに携わる医療者はそのことを常に大切にしなければならないと思います。
ホスピスのこころ研究所 理事長 前野 宏
コラム「前野宏のホスピスのこころ」~第11回~
柏木先生のご講演で「人間力」が取り上げられた時、10の項目の中で最も力を込めてお話しされたのが、「ユーモアの力」です。
柏木先生くらいユーモアのことを“真面目に”説いた医師は今までにいなかったと思います。ユーモアに関する著書も多くあります。柏木先生ご自身が「ユーモアの3部作」と呼んでいるのが、古いものから、「癒やしのユーモア-いのちの輝きを支えるケア」、「ベッドサイドのユーモア学」そして最新刊である「ユーモアを生きる-困難な状況に立ち向かう最高の処方箋」の3冊です。3冊とも柏木学の真骨頂とも言えるものだと思います。
さて、講演の中で柏木先生は「ユーモアの力」について、V.E.フランクルの文章を引用して「ユーモアは人間だけに与えられた、神的と言って良いほどの崇高な能力である。」、「一見、絶望的で逃れる途が見えないような状況においても、ユーモアはその事態と自分との間に距離を置かせる働きをする」、「ユーモアによって、自分自身や自分の人生を異なった視点から観察出来る柔軟性や客観性が生まれる」と述べています。これらはユーモアの持つ「自己距離化」の力であるとも述べています。また、ドイツのユーモアの定義に、「にもかかわらず笑うこと」「愛と思いやりの現実的な表現」というものがあり、柏木先生はいつもこの言葉を意識していると述べています。
私はホスピス医になったばかりの時に柏木先生の回診に同行していたのですが、彼の回診にはいつも笑いがありました。そしてそれは単にだじゃれを言って周りを無理に笑いに引きずり込むのではなく、周囲の緊張感をほぐし、温かい雰囲気を醸し出していたと思います。
そのいくつかの例をご紹介しましょう。
ホスピスに入院していた患者さんが症状が落ち着いたので退院の話が出ました。しかし、患者さんは「先生、退院はしたいのですが、あまり自信がありません。」と言います。すると、柏木先生は「それじゃあ、私が太鼓判を押しましょう。」と言います。患者さんは不思議そうな顔をして、「お願いします。」と言います。すると、柏木先生は隠し持っていた「太鼓判(こういった時のために特注で作った特大のはんこ)」をやおら出して、患者さんに見せます。患者さんは一瞬何が起こったか分からず、きょとんとしていますが、事態が分かって、大笑い。となります。
また、病棟では患者さんが誕生日を迎えられると花束とバースデーカードを送るのが習慣となっていました。ある時、入院中のご高齢の女性が誕生日を迎えられました。その時に用意されていたプレゼントの花束を贈りながら「○○さんの為に花束を贈ります。このかすみ草は丁度○○さんの年齢の数だけ用意しました。」と言うと、大笑いになりました。この話には後日談があり、その次に柏木先生がその方の回診に行くと、「先生、あの後お花の数を数えたら、丁度年の数だけありました。」とその方が言われました。また大笑いです。柏木先生のユーモアが、患者さんの気持ちをも明るくしたのです。
私には柏木先生の様な素敵なユーモアセンスがありません。ある時、私が柏木先生に「先生、どうしたら先生の様なユーモアのセンスが育つのですか。」などと野暮な質問をしました。彼は「思いついたことを、思い切って言ってみることです。そのうちに身についてくると思います。」といったことを言われたと思います。
それから、20年近くが経ったのですが、未だにユーモアに自信がない私です。
ホスピスにこころ研究所 理事長 前野 宏
コラム「前野宏のホスピスのこころ」~第10回~
柏木哲夫先生は終末期の患者さんに「寄りそうこと」が大切であると言われました。そして、「寄りそうこと」は「人間(自分自身)を提供すること」であると言われました。そうなると、提供する「人間(自分自身)」が問題となります。患者さんに差し出す自分自身はどうあるべきなのか。そこで重要になるのは「人間力」であると柏木先生は言われます。
柏木先生は、人間力の要素を10挙げています。それらは
1.聴く力
2.共感する力
3.受け入れる力
4.思いやる力
5.理解する力
6.耐える力
7.引き受ける力
8.寛容な力
9.存在する力
10.ユーモアの力
です。今回はこの中から、「聴く力」についてお話ししたいと思います。
柏木先生は、ご講演の中である精神科の女性の患者さんの事を例にお話しをされました。彼女は病気のために、普段から意味不明のことを話し続けていました。柏木先生が彼女との会話をしている時に、ふと他の患者さんの事を考えていたのだそうです。すると彼女が「先生、私の話をちゃんと聞いてください。」と言ったのだそうです。柏木先生は突然の指摘にびっくりして、すぐにご自分の態度を謝罪したそうです。
しかし、その患者さんは、その返事を聞くか聞かないかのうちに、また元の通り意味不明のお話しをし始めたそうです。そのことを通して、柏木先生は「しっかりと心を込めて聴くということの大切さを、私は患者さんから学びました。患者さんは、精神的にどんなに不安定になっていても、どんな気持ちで聴いてくれているのかを瞬時に見抜く力を持っています。」と言っています。
私もこの「心を込めて聴く」ということを日頃から心がけています。初めてお会いする患者さんの時には特に注意しています。患者さんは新しく出会った医者に対し、「この先生はどんな人なのだろう。優しい人なのか、怖い人なのか。」と、きっとドキドキしていることと思います。恐らく、私の話し方や、態度や目線にまで注目していることでしょう。そして、特に自分のお話をちゃんと聞いてくれるのかどうかについては、最も気にしておられる事と思います。
私は最初に出会う患者さんに対しては1時間くらい時間をかけるようにしています。その大部分は患者さんからのお話を聴くということに費やします。このお話の聞き方については、コミュニケーションスキルの教科書などには「繰り返し」とか「頷き」とか「沈黙」とか技術的なことが書かれています。しかし、最も大切なことは、柏木先生が言われたとおり、「しっかりと心を込めて聴く」ということだと思います。その気持ちは恐らく、相手に伝わることでしょう。結果として、患者さんが「私のお話しをこんなに聴いてくれたのは初めてです。それが一番うれしかった。」と言ってくださることがしばしばあります。ただお話を聴かせて頂いただけなのですが、「ただ聴く」ことの大切さを学ばされます。
ホスピスのこころ研究所 理事長 前野 宏
コラム「前野宏のホスピスのこころ」~第9回~
『もう、そろそろいいかな』
前回は多くの患者さんが「家族に迷惑がかかるので」と言われることを書きました。今回も終末期患者さんの多くが言われる言葉をご紹介します。それが「もう、そろそろいいかな。」です。表現はいろいろです。「もう終わりにしてほしい。」「もう十分です。」「早く楽になりたい。」
私達医療者は患者さんからこういう言葉を聞くと驚くと共に、がっかりもします。患者さんが少しでもご希望に添って楽に過ごして頂きたいと願いつつケアを提供しているのですが、患者さんの「もう終わりにしたい。」という言葉は私たちのケアを否定されたような気になるのです。
このような言葉はいろいろな状況で出てきます。ある60歳代男性の患者さんは悪性黒色腫というがんの一種が顔面にできてしまい、手術もできなかったため、顔の半分を腫瘍が覆っている状態です。幸い、痛みは無いのですが、いつ出血するか分からず、口もほとんど開かないために、ストローで水分を摂るのがやっとの状態です。何より見た目がひどく、病室は腫瘍から放たれる臭気で具合が悪くなるほどです。そんな患者さんの口から出てきた言葉が「つらいんです。だらだら生きていたらみんなに迷惑がかかる。」でした。その言葉を聞いて、私は「本当にそうですね。」と言葉には出さずに心の中で思いました。この患者さんのように誰が見ても生きることそのものがつらいということが共感出来る場合もありますが、違った場合もあります。
ある70歳代の女性患者さんは、だるさはありますが、日中うとうと過ごしていれば体の苦痛はそれほどでもありませんでした。ある時彼女は回診で、「そろそろいいかな。この先しんどいことがあるのはいや。」と言いました。この方は本当は家に帰りたいのですが、自分が家に帰ると孫がまだ小さい娘達に迷惑がかかると考え、それもできない。つまり、将来に対する希望が見当たらないのです。
また、ある患者さんは「もうやりたいことはやったし、何も思い残すことがない。もう十分だ。」と言いいました。今までの人生を振り返って、満足感を感じながら、そのような言葉を言われたのだと思います。それは聞いていて、納得してしまう言葉でした。
「もう、そろそろいいかな。」「早く終わりにしたい。」といった言葉に対して、私たちは答えを持ちません。いや、その場しのぎの言葉はむなしいだけで、それよりは何も言わない方がいいでしょう。むしろ、そのような胸の内をお話し下さったことに対し、「良く、お話し下さいましたね。ありがとうございます。」と感謝すべきだと思います。ただ、患者さんの言葉が意外なものであれば、「どうしてそのように思われるのですか。」と聞いてみるのが良いでしょう。患者さんとの間に信頼関係があれば、さらに心の内を明かして下さるかもしれません。そういう会話を通して、患者さんと医療者との関係が深まるのであれば、それもありがたいことです。
ホスピスのこころ研究所 理事長 前野 宏
コラム「前野宏のホスピスのこころ」~第8回~
終末期の患者さんとの会話で、特に多く聞かれる言葉が、「家族に迷惑がかかるから」という言葉です。
私は在宅緩和ケアを担当しておりますので、多くの末期がんの患者さんの訪問診療を行っています。病院から退院してこられた患者さんに初めて訪問診療する時に、必ず次のように尋ねます。「今日、退院してくることができて良かったですね。もちろん、できるだけこれからお家で過ごしたいと思っておられると思いますが、病気が進んだ時に人によっては入院したいという人もいますし、それでもできれば家にいたいという人もいます。 Aさんはどちらの方ですか?」そうすると、ある人は「入院はしたくないです。」と言いますし、「・・・」と迷われる方もいます。でも、多くの方は、ちょっと考えて、「家族に迷惑がかかるので、その時は入院かな。」と言います。
先日、70歳代の婦人がお家に帰ってきて、そのように言ったら、そばで聞いていた娘さんが「何言ってるの!お母さん。そんなこと言ったらだめだよ!」と怒りだしてしまいました。娘さんとしてはこれから一生懸命にお母さんを支えようと決意していたのに、お母さんの言葉が水くさく感じたのかもしれません。でも多くの場合、ご家族は患者さんのその言葉を黙って聞いておられます。きっと、「母さんはそんなことを思っていたんだ。ちょっと悲しいな。でも最期まで家で看るのは自信がないな。」と思っていることでしょう。
患者さんは、ご家族に迷惑をかけるので申し訳ない。わがままは言えない。と思い、ご家族は、「何を言ってるの、うんと甘えてほしい。」という気持ちだと思います。患者さんとご家族の気持ちのギャップに私たちそこにいる医療者は、切ない思いを感じます。しかし、多くの場合、患者さんの本音はできるだけ家にいたい。できれば最後まで(死ぬまで)家にいたい、ということだと思います。一方、ご家族はできればそうしてあげたいが、「人を自宅で看取るなんてとてもできそうもない。」と心許ないのだと思います。
終末期医療の基本は患者さんの希望に沿った過ごし方をして頂くことが最善だということです。私たちは初回の訪問の時、患者さんのいないところでご家族と面談します。そこで、私はご家族を励まします。「お家に帰ってきて喜んでおられる患者さんは恐らくご自分から入院したいとはおっしゃらないでしょう。つまり、最期まで家で過ごしたいわけです。ご家族は全く初めてのご経験で、家で人を看取るなんてそんな大変なこととてもできないと思っておられると思います。でも実際に多くのご家族はできていますし、私たちができるだけサポートしますので、大丈夫です。でも、もしもこれ以上お家で看ることはできないという時には緩和ケア病棟への入院もできますから、大丈夫ですよ。」とお伝えします。それでも多くのご家族は不安の中スタートしますが、家で満足して過ごす患者さんを見ていると徐々にそれが良いことだと思えてきて、お世話もだんだん慣れてくると自信もついてくるものです。ご自宅でのお看取りはご家族にとってはご苦労が多いことだと思いますが、患者さんの願いを叶えられたという達成感、満足感は何にも替えがたいものとなります。
ホスピスのこころ研究所 理事長 前野 宏
コラム「前野宏のホスピスのこころ」~第7回~
この言葉は、近代ホスピスの生みの親であるイギリス人、シシリー・ソンダース先生の書いた論文の中の一節です。
「私と共に目を覚ましていなさい(“Watch with me”)」
というタイトルのこの論文は、彼女が近代ホスピスの第1号である、聖クリストファーホスピスを作る2年前の1965年に書かれました。
この論文では彼女が作ろうとしているホスピスに必要不可欠な要素が書かれています。
その中で、こういった一節があります。「例え自分たちには絶対的に何もできないのだと感じた時でさえ、私たちはそこに留まる準備ができていなければならない。「私と共に目を覚ましていなさい」は、結局、唯、「そこにいること」である。(just “being there”)」
終末期の患者さんに対して、私達医療者はできるだけのことをしようとします。
特に、がんによる痛みなどの苦痛ができるだけ緩和出来るように努力します。
しかしながら、いつしか我々医療者のできることには限界が来ます。
もはや、医療者としては万策尽きる時が必ず訪れます。前々回お話ししたAさんの「迷惑がかかるから、もう終わりにしたい。」といった生きることそのものの苦痛(こういった苦痛を「スピリチュアルペイン」と呼びます)に対し、もはや医療者としてできることはないのです。
しかし、ソンダース先生は、「例え自分たちには絶対的に何もできないのだと感じた時でさえ、私たちはそこに留まる準備ができていなければならない。」と言います。つまり、ソンダース先生は、医療者としてできることがなくなっても、(一人の人として)そこに留まらなければならない、と言うのです。
第6回のコラムで、柏木哲夫先生は我々医療者は終末期の患者さんに対して、医療技術によって「支える」ことと人間を提供することによって「寄りそう」ことが大切だと言われました。
柏木先生の言われる「寄りそう」が、シシリー・ソンダース先生の言われる”being there”に当たると思います。「支える」ことと「寄りそう」ことはどちらも大切なのですが、肝心なことは両者には順番があるということです。
私達医療者は終末期患者さんの苦痛を医療技術を駆使して緩和しようとします。
しかしやがて来るであろう医療技術の提供の限界に備えて、「そこにとどまる準備ができていなければならない。」とソンダース先生は言うのです。
それが、前回お話しした「信頼関係の構築」であると思います。
シシリー・ソンダース先生と柏木哲夫先生、世界と日本のホスピスの生みの親が全く同じ事をそれぞれの表現で強調しているのは実に興味深いことです。
ホスピスのこころ研究所 理事長 前野 宏
コラム「前野宏のホスピスのこころ」~第6回~
我が国のホスピス緩和ケアの生みの親である淀川キリスト教病院名誉ホスピス長柏木哲夫先生は、終末期患者に対する医療者の態度は二つあると言っています。それらは「支える」ことと「寄りそう」ことです。
「支える」というのは技術の提供です。がんの痛みに苦しむ患者さんに対し、オピオイドといった鎮痛薬の投与など医療技術を駆使して症状の緩和に努めます。しかしながらあらゆる医療技術を駆使しても、患者さんの全ての苦痛を緩和出来るわけではありません。特に前回お話ししたAさんのように生きることそのものの苦痛(スピリチュアルペインとも呼びます)に対し、医療技術は無力です。そういった患者さんに対し、柏木先生は「寄りそうこと」が必要であると言います。柏木先生は「支える」ことが技術の提供であるのに対し、「寄りそう」ことは「人間の提供」であると言います。
柏木先生は二人の医師を例に出して説明しています。ある麻酔科医は、「患者さんの痛みが取れると困るんです。」と言いました。すなわち、がんの痛みに対してはその麻酔科医は医療技術で緩和することができるが、後から出現する精神的な苦痛やスピリチュアルペインに対しては対応ができないと言うのです。また、ある緩和ケア医は「症状のコントロールができれば私の仕事は終わりです。」と言いました。この医師は医療技術によって症状のコントロールをしようとするが、それ以上のことをするつもりがないのです。この二人の医師に共通して言えることは「技術を提供して支えるが、人間を提供して寄りそうことをしない」ことなのです。
「寄りそうこと」は「人間を提供すること」と柏木先生は言います。それでは、「人間を提供する」とはどういうことなのでしょうか。それは私であれば「前野宏」という人間が、患者さんの傍らに存在させていただくことだと思います。でも、患者さんにとって一人の人である「前野宏」がそこにいてほしいかどうかが次の問題です。自分が元気な時であれば、どのような人がそばにいても許容出来るかもしれませんが、がんの終末期のような心身共にしんどい状態ではそうではありません。信頼出来る人はそばにいてほしいけれども、そうでない人はそばにいてほしくないと思います。もはや私は患者さんの許しがなければ、人として患者さんの傍らに存在することができないのです。ですから、我々医療者は、患者さんの信頼を得るために、普段から医療者として誠実に患者さんに係わる必要があるのです。そうすることによって、医療の限界が来ても、一人の人として患者さんの傍らに存在することが許されることでしょう。
ホスピスのこころ研究所 理事長 前野 宏