コラム「前野宏のホスピスのこころ」~第19回~
『感性の完成』
柏木哲夫先生は、ケアを提供する者にとって、「感性」の大切さを述べています。そして「感性の三要素」として、「気づき」、「感動」、「行動」を挙げています。
ある高齢のご婦人(Aさん)ががんの終末期で緩和ケア病棟に入院していました。かなり病状が悪化し、病棟のスタッフは、Aさんが恐らく数日でお亡くなりになるだろうと予想していました。この方には息子さんがいますが、本州在住で、おりからのコロナ禍のために、病棟は面会を基本的にお断りしていました。しかし、お看取りが近くなったので、息子さんにも来て頂きましたが、ずっと付き添って頂くことができません。なおかつ、この方はとても社会的なつながりを多く持っておられたので、本当は多くのお友達、お仲間にも会いたかったのですが、入院中はかないませんでした。
ある土曜日のお昼頃、病棟から突然私に電話がかかってきて、「先生、Aさんが退院したら診て頂きたいのですが。」とのこと。私は急なことなので、びっくりしました。話を聞くと、Aさんの退院について、Aさんを受け持っている看護師が提案したということでした。
当初、Aさんは最期まで自宅で過ごすということも考えたのでしたが、遠方の息子さんや他のご家族が家で患者さんを介護することはとても難しい状況で、残念ながら断念したのです。そしてAさんは、お家での生活が困難になった段階で、緩和ケア病棟への入院を選択したのでした。しかし受け持ち看護師は、残された時間が数日となり、短期間であれば、本州から来ている息子さんも含めて、ご家族が頑張れるのではないか。そして、多くの知人や親戚にも家であれば自由に会えるだろう。ということを考え、ご本人とご家族に提案したのです。まさかそのようなことが実現できるとは思っておられなかったご家族は、その提案を受け入れ、急遽退院の話が進みました。そして、Aさんは月曜日の午後に無事退院し、家族水入らずで過ごし、大切なお仲間や親戚にも会うことができ、水曜日の朝に愛するご家族に囲まれて、お亡くなりになったのです。
たった二日間のご自宅での生活でしたが、ご家族としてはAさんからの最期の素敵なプレゼントになったのでした。ご家族が大変喜んでおられたのは言うまでもありません。
大胆な提案をした受け持ち看護師も素晴らしかったですが、それを聞いて週末にもかかわらず、いろいろと手配し、退院を準備した病棟のスタッフ、そして、それを二つ返事で受け入れた在宅チーム、見事な連携でした。
まさに、受け持ち看護師の「気づき」に始まり、皆が「行動」した賜でした。
柏木先生は、「気づき」と「感動」だけではだめで、「行動」が伴わないと「感性」は「完成」しないと言っています。受け持ち看護師の素晴らしい感性のなせる技でした。
ホスピスのこころ研究所 理事長 前野 宏
コラム「前野宏のホスピスのこころ」~第18回~
『悲しくない自分がおかしいのでしょうか?』
「悲しくない自分がおかしいのでしょうか?」この言葉は、ご主人を自宅でケアし、お看取りされた奥様が、私が往診でかけつけた直後に言われた一言です。その時の奥様の穏やかな微笑みがとても印象的だったのを覚えています。
また、先日お母様をご自宅でお看取りされた娘さんがご挨拶に私たちのクリニックにお越しになった際にも、全く同じようなことをおっしゃっていました。
愛するご家族をお家でお看取りされた方が、どうしてこのようなことを言われるのでしょうか。一般市民の方は、愛するご家族が亡くなった時には、きっとものすごく悲しいはずだと思っているでしょう。恐らく、テレビドラマなどで患者さんが亡くなる時に、ご家族がワッと泣きながら遺体にすがりつくようなシーンを思い描いておられるのだと思います。実際、病院でのお看取りの際はそのようなことも多く見られます。私自身も、父が大学病院で亡くなった時には号泣したことを覚えています。
しかし、ご自宅で患者さんをお看取りした直後のご家族は、悲しいながらも患者さんの希望を叶えることができた達成感と満足感が強く、強い悲しみを表すことは必ずしも多くはありません。
ご家族にとっては、終末期の患者さんをお家でケアし、お看取りするということは、大変な苦労を伴います。肉体的にも精神的にも大きな負担がかかります。そもそもほとんどのご家族は以前にそのような経験をしたことがありません。初めての体験なのです。ですから、在宅緩和ケアを開始する時点で、患者さんをお家で最期まで、つまり亡くなるまで看ることを決めておられるご家族は多くはありません。「本人が望むなら家で看取って上げたい。」と思ってはいるが、実際問題とても自信が無くて、「最期はやっぱり病院に入院してもらおうかな。」と思っておられるご家族が多いのです。
しかし、多くの不安を抱えながらも、訪問看護師の温かい、励ましとサポートを受けながらケアを続けてゆくと、やはり患者さんは自宅が良いので入院したいとは言いません。そして、ご家族にとっても段々ケアにも慣れてくるし、患者さんが入院して病院に通うよりも、家にいてくれた方がむしろ安心だと思うようになります。そして、患者さんにとって一番良いことをしているのだという気持ちが何よりの支えになります。
ご家族がお看取りの経験が無いことの不安に対しては、患者さんの病気が進んで、残された時間がそろそろ1週間以内かなというようなタイミングを見計らって、訪問看護師がご家族にお看取りの説明をします。パンフレットを用いて、今後患者さんに起こる変化、そしてその際にご家族に行って欲しい行動を説明します。この時点でご家族は患者さんを家でお看取りする覚悟をし、日々起こってくる患者さんの変化に対応することができるのです。
お家で愛する人をお看取りしたご家族の表情は、時にすがすがしくさえあります。
ホスピスのこころ研究所 理事長 前野 宏
コラム「前野宏のホスピスのこころ」~第17回~
『壁一面の写真』
在宅医療では病院の医療では決して分からない患者さんのことを知ることができます。特に終末期の患者さんの場合、私たちが患者さんのご自宅に伺うことにより、患者さんが何を大切にし、どのような家族と一緒に暮らしているのか、そして患者さんがことのほか愛するペットのことなんかがよく分かります。お家にはその方の人生そのものがあるのです。終末期医療においては、患者さんの医学的情報以上に、患者さんの人となり、死生観、家族のこと等を知ることの方が重要になることが多いので、まさに在宅医療はそういう意味で理想的なのです。
ある終末期の高齢のご婦人のご自宅に伺った時に、びっくりしたのは、居間の壁一面にびっしりと写真が貼られていたことです。ご本人がお仲間と旅行に行った時の写真もありましたが、大部分はご家族のものでした。長女さんや孫娘さんの結婚式の写真。お孫さんが小さな時の写真。すでにセピア色になっているものもあり、時間の経過を感じさせます。いかにその方がご家族との時間を大切にしてこられたのか一目瞭然です。そしてそれらの写真を見せて頂くと、自然にその当時のことが話題になります。そのお話しを通して、その方の人生を知ることになります。
ある70才台の男性の寝室に入ると、壁一面に大谷翔平の写真が飾られていました。大谷君が日本ハム時代の写真ばかりでなく、大リーグに移籍し、エンゼルスで活躍してからのものもありました。今もファンとして応援しているようです。年齢を重ね、社会的には十分に実績がある方が、まるで少年のような純真な面を持っておられることを知ることは、新鮮な驚きです。そういったことは、病院の病室ではなかなか知ることはできません。
患者さんがそのお家に長く住んでおられるほど、その方の人生そのものを感じ取ることができます。柱に刻まれた子供の成長のたびに刻まれたであろう身長を計った時の傷跡は、家族がそこで過ごしてきた歴史を伝えます。
ご自分が描かれた絵をたくさん貼っているお家。お花がいっぱい飾られているお家。旅先で買ったペナント(皆さん分かりますか?)が壁一面に貼られているお家。ご自分が登った世界中の山の写真が飾られているお家。自然にそこから話題が始まり、その方の生きてきた歴史が語られます。定年の時に会社から頂いた表彰状を居間の一番目立つところに掲げているお家では、その方が仕事に誇りを感じておられたことが自然に物語られます。
ご自宅に伺うと、患者さんに問診で一生懸命に質問をしなくても、自ずとその方の生きてきた人生を知ることができるのです。
ホスピスのこころ研究所 理事長 前野 宏
コラム「前野宏のホスピスのこころ」~第16回~
『グリコのおまけ』
在宅医療では病院の医療では経験できない思わぬプレゼントを頂くことがあります。
ある終末期の女性患者さんの孫娘さんはピアノの先生でした。私が大のクラシックファンであることを知った彼女は、ある訪問診療の際、診察が終わってから、「先生、もう診察終わりました?」と言われました。私が「はい。」と言うと、彼女は「それでは、ちょっとだけお時間を下さい。」と言って、患者さんのベッドがある居間の隣のお部屋にある、かなり年季の入ったアップライトピアノを弾き始めました。患者さんとその娘さん(お孫さんのお母様)と私はしばしの間、突如実現したホームコンサートを堪能したのでした。
演奏が終わり、お孫さんは「感謝を表したくて。私にできるのはこんなことくらいですから。」と言われました。私は、「私にとっては最高のプレゼントです。まるで「グリコのおまけ(ちょっと失礼な表現だったかもしれませんが)」ですね。」と言いました。お孫さんは「グリコのおまけ」のネーミングがえらく気に入ったようで、これ以降、訪問診療のたびに「先生、今日も「グリコのおまけ」用意しました。」と言って、1曲プレゼントしてくださいました。私も(まさに)味を占めて、毎回のこの患者さんの訪問診療が「グリコのおまけ」のためにとても楽しみになったのです。
ちなみにどんな曲を弾いてくださったのかお教えしましょう。
「グノーのアベマリア」「愛の賛歌」「モーツアルトのピアノソナタ」「「キャッツ」から「メモリー」」「ショパンの「ノクターン」」そして、患者さんがお亡くなりになった後、「カッチーニのアベマリア」
お孫さんは、「アベマリアで始まり、アベマリアで終わりました。」と言われました。どの曲も思い出深いのですが、患者さんが亡くなる3日前に弾いてくださったショパンのノクターンは特に思い出に残っています。その日は、患者さんの意識がかなり低下していました。それでも彼女はお孫さんの演奏をしっかりと聴くことができたのです。その演奏はお孫さんにとって、もうすぐ地上での永遠のお別れになるであろう、愛するおばあさまに対する鎮魂の気持ちが込められた実に感動的なものでした。
私にとって、この患者さんと関わらせて頂いた1ヶ月間の忘れられない思い出として、「グリコのおまけ」は一生の宝物になりました。こういった思わぬプレゼントを頂くことができるのも在宅医療の醍醐味なのです。
ホスピスのこころ研究所 理事長 前野 宏
コラム「前野宏のホスピスのこころ」~第15回~
がんの終末期でご自宅で過ごされていた90才台の女性患者Aさんに、ある日の訪問診療の際に言われた言葉です。Aさんはいつも穏やかな微笑を浮かべている素敵なご婦人でした。ベッドサイドに置いてあったポータブルトイレを最後まで使わなかったという何か静かで強いプライドをお持ちの方でもありました。上記の言葉はいつもの訪問診療に伺った時に、Aさんが何気なく言われたのでした。我々終末期医療に携わる医師にとってこれ以上にうれしい言葉はありません。
医師の一般的な役割は病気を見つけ(診断)、病気を治し(治療)、もしも病気が治らない状況でもできるだけ長く生きるようにすること(延命)です。しかし、私のように終末期の患者さんに関わっている医師はこれらをしません。もしも若干はするとしても積極的には行いません。なぜなら、私たちは人が尊厳を持って、その人らしく終末期を過ごし、亡くなるということは自然なことであり、大切なことであるという信念を持って仕事をしているからです。
ただ、私たちは急性期医療に携わっている医師達のように、患者さんの病気が治った時や患者さんが良くなって退院した時に、「先生のお陰で助かりました。」というような言葉によって感謝されることはありません。私たちが関わる患者さんのほとんどは亡くなられます。つまり、私たちの医療技術が患者さんやご家族から褒められることはほとんど無いのです。
しかし、Aさんのようなことを言って頂くことがごくたまにあります。そしてそのような瞬間は、全くこちらが思いもよらない時に、ふっとやってくるのです。言われた方は突然の事なので、ちょっと驚き、そしてちょっと照れくさく、そしてじわっと喜びがやってきます。そんな時、「そんなことを言ってくださるのはAさんだけです。私もAさんにお会いできることがいつも楽しみですよ。」という感謝の言葉が自然と口を出ます。
「先生の顔を見ると元気が出ます。」という言葉は私の医師としての医療技術が褒められたのではありません。私という人間存在自身が患者さんにとって安心の元になっていることであり、なんとも光栄でありがたいことなのです。しかし、このような言葉はこちらが計画して、努力して頂けるわけでもありません。何か一生懸命、まじめに医療をしていたら、ある日突然、神様からのご褒美のように与えられるような気がします。
私たち患者さんの終末期に携わる医療者は、このような宝物のような一瞬を頂くと、もうこの仕事から足を洗うことはできなくなるのです。
ホスピスのこころ研究所 理事長 前野 宏
コラム「前野宏のホスピスのこころ」~第14回~
『産んでくれたことに感謝しています』
Aさんは、70才代女性で、がんの終末期になり娘(次女)宅で過ごしていましたが、病状が悪化し、最終段階にさしかかっていました。私はその日も訪問診療を終え、帰ろうとすると玄関先で、次女さんが、「ちょっとお話しがあるのですが。」と話し始められました。「私はこのまま最後まで家で母を看ようと思っているのですが、姉や夫の両親が、『あなたはもう十分にしたのだから、もう入院させた方が良い。』と言うんです。」私は彼女の口調から、これはただならぬお話しだなと思いました。
「実は、私は親からDVを受けていたんです。私の父は私が小さい時に家を出て行ってしまいました。その後、別の男性が母と暮らし始めたのです。私が小学校の頃のことです。その人は私にひどい暴力も振るいましたし、私がお風呂に入っているところに入ってきたり、部屋に勝手に入ってきたりしました。とても怖い思いをしました。でも母は私を助けてくれませんでした。むしろ、「あんたが悪い。」とまで言われました。私が勤め始めた頃には、私の給料を勝手に持っていたりされました。私はいやになって、家を飛び出たのです。」何気なく聞き始めた次女さんの話の内容があまりにもすさまじかったので、私は唖然としてしまいました。
Aさんは北海道の地方都市で一人暮らしをしていたのですが、認知症の症状が出てきたので、札幌で結婚して暮らしていた次女さんが引き取ったのだそうです。Aさんは次女さんのお宅でも結構わがままに振る舞っていたのだそうです。そしてAさんはがんを患い、終末期を迎えようとしている状況で私たちが在宅緩和ケアのために依頼されたのです。
幼い時に親としてはあるまじき振る舞いをした母親に対して、姉や夫の両親が「あなたはAさんには十分にしたのだから、もう入院させなさい。」という気持ちは良く理解できました。しかし、次女さんは話を続けました。「私はここまでやってきて、ここで母を入院させてしまったら、一生後悔すると思います。私は母を恨んでいません。私は今夫と幸せに暮らしています。母が私を産んでくれたことに感謝しています。そうでなければ、私は彼と出会うことがありませんでしたから。」と彼女は穏やかな微笑みを浮かべながら話されました。私は彼女のことばに、ただただ圧倒され、私の目には涙が溢れていました。それから3日後に、Aさんは次女さんのお宅で息を引き取られました。次女さんご夫婦がしっかりとお看取りをされました。とても穏やかな最期であったようです。そして、次女さんからも大きな仕事をやり遂げた満足感と安心感が感じられました。その傍らにはご主人が優しく寄り添っておられました。
ホスピスのこころ研究所 理事長 前野 宏
コラム「前野宏のホスピスのこころ」~第13回~
『ホスピスのこころと中村哲先生』
2019年12月4日、アフガニスタンで活動されている中村哲先生が
凶弾に倒れたというニュースが突然飛び込んできました。
つらく悲しいニュースでした。ただ、私のこころのどこかで、
いつかこの日が来てしまうのではないかという心配があったのも事実です。
多くの方は中村哲先生の事をご存じだと思いますが、少しだけ中村先生のご紹介をしましょう。彼は、福岡出身で九州大学医学部を卒業され、海外医療協力のためにパキスタンのペシャワールで長年活動されました。その後、アフガニスタンに拠点を移して活動されましたが、「苦しんでいるアフガニスタンの人々を救うためには医療より水が必要」と考え、現地で井戸を掘ったり、用水路を作ったりする事業を手がけました。中村先生の活動は35年近く続き、「マルワリード(真珠)」と呼ばれる用水路の総延長は25kmに及び、現在では約1万6500ヘクタールの砂漠が緑豊かな農地に変えられ、約60万人の人が恩恵を受けていると言われています。日本人以上にアフガニスタン国民に愛されている方でした。
彼は常に現地に赴き、苦しみ、もだえている人々の目線で考え、行動してきました。それはまさに「ホスピスのこころ」そのものです。札幌南徳洲会病院の小冊子「ホスピスのこころを大切にする病院」の中に、中村先生の一文を載せていますので、ご紹介しましょう。
「私たちの事業は、本当に、もう本当にいろんな事の連続でしたが、いつも一貫して、人々と共にあったと思います。上からの目線で、将棋の駒でも指すように、政治情勢がどうだとか、世界戦略がどうだなどと思ったことはない。それよりも下々の人と共に揺れながら生きてきた。こういう話をしますと、皆、暗くて深刻で悲惨な表情かというと、案外そうでもないのです。
向こうから戻ってきて気になるのは、たらふく食っている日本人の方が暗い顔をしている。しかも言葉は不平不満の羅列です。これは何なのだ、と思います。
どうも人間というのは持てば持つほど不安になって顔が暗くなるらしい。何も持たない人の楽天性というのはあるのです。この子達にしても何日かご飯が食べられないと飢えて死ぬか、病気になって死んでしまう状況に置かれてしまいます。それでもやはり明るい。
私たちは援助というと、銭がある者が、貧しい哀れな人を助けるという考えになりがちですが、そうではなくて、18年間を振り返ってみますと、本当は助けるつもりで助かってきたのは自分たちではないかと思います。」(「ほんとうのアフガニスタン」より)
中村先生の残された「ホスピスのこころ」の遺志を私たちが受け継がなければならないと心から思います。
ホスピスのこころ研究所 理事長 前野 宏
コラム「前野宏のホスピスのこころ」~第12回~
『Psychological Safety (心理的安全性)』
ホームケアクリニック札幌設立から10年間、私と共に労苦して下さったMSW(医療ソーシャルワーカー)の提箸秀典さんのことをお話ししたいと思います。彼は優秀なMSWとして働いていたのですが、残念なことに50才の時にがんにかかってしまいました。彼はそれから手術を6回、その間に化学療法を受けるという壮絶な闘病生活を送りました。しかし、残念ながら病状が進み、最期に札幌南徳洲会病院ホスピスに入院しました。彼は仕事において多くの終末期患者さんと接してきましたが、最期にご自身が終末期患者となったその思いをたくさん語ってくれました。その中で最も印象深かった言葉が次のものです。「急性期病院と違って、ここ(ホスピス)は「ここにいてもいいんだ」と思うことができる。安心して過ごすことができます。」彼は、急性期病院で慌ただしく入退院を繰り返してきましたが、残念ながらそこは「安心して」過ごす場所ではなかったのです。そして、最後にたどり着いたホスピスで彼は「安心」を得たのです。私たちホスピス緩和ケアに携わる者は、患者さんが「安心」できる場を作り出すように努力をしなければならないのです。
“Psychological Safety”という概念が最近注目されています。その概念によると、「safeな場」とは、チーム内で各人が自分の思っていることを言い合えるような環境を指します。誰か権威的な人がいて、その人の前では自分の言いたいことも言えないような環境は「safeな場」ではないのです。スポーツの分野でも良いチームは選手がお互いに自分の意見を言い合えるような「safeな場」が重要視されてきました。そしてそれは医療チームにおいても同様です。特にホスピス緩和ケアのチームにおいては、いろいろな職種のスタッフが意見を出し合ってケアの方向性を決めてゆく事が重要なので、チームにおいて「safeな場」を作ることはとても重要です。
「safeな場」は医療チームにとって大切なことですが、そればかりではなく、患者さんと医療者の関係においても重要です。患者さんは特に医師に対してとても気を遣われます。「こんなことを聞いたら嫌がられるのではないか。」とか「先生はお忙しいからこんなつまらないことを言うのは止めよう。」などと考えます。ですから、私たち医療者は患者さんが「どんなことでも聞いてください。どんなことでも言ってください。」という雰囲気を醸し出さなければなりません。
特にホスピス緩和ケアに携わる医療者はそのことを常に大切にしなければならないと思います。
ホスピスのこころ研究所 理事長 前野 宏
コラム「前野宏のホスピスのこころ」~第11回~
柏木先生のご講演で「人間力」が取り上げられた時、10の項目の中で最も力を込めてお話しされたのが、「ユーモアの力」です。
柏木先生くらいユーモアのことを“真面目に”説いた医師は今までにいなかったと思います。ユーモアに関する著書も多くあります。柏木先生ご自身が「ユーモアの3部作」と呼んでいるのが、古いものから、「癒やしのユーモア-いのちの輝きを支えるケア」、「ベッドサイドのユーモア学」そして最新刊である「ユーモアを生きる-困難な状況に立ち向かう最高の処方箋」の3冊です。3冊とも柏木学の真骨頂とも言えるものだと思います。
さて、講演の中で柏木先生は「ユーモアの力」について、V.E.フランクルの文章を引用して「ユーモアは人間だけに与えられた、神的と言って良いほどの崇高な能力である。」、「一見、絶望的で逃れる途が見えないような状況においても、ユーモアはその事態と自分との間に距離を置かせる働きをする」、「ユーモアによって、自分自身や自分の人生を異なった視点から観察出来る柔軟性や客観性が生まれる」と述べています。これらはユーモアの持つ「自己距離化」の力であるとも述べています。また、ドイツのユーモアの定義に、「にもかかわらず笑うこと」「愛と思いやりの現実的な表現」というものがあり、柏木先生はいつもこの言葉を意識していると述べています。
私はホスピス医になったばかりの時に柏木先生の回診に同行していたのですが、彼の回診にはいつも笑いがありました。そしてそれは単にだじゃれを言って周りを無理に笑いに引きずり込むのではなく、周囲の緊張感をほぐし、温かい雰囲気を醸し出していたと思います。
そのいくつかの例をご紹介しましょう。
ホスピスに入院していた患者さんが症状が落ち着いたので退院の話が出ました。しかし、患者さんは「先生、退院はしたいのですが、あまり自信がありません。」と言います。すると、柏木先生は「それじゃあ、私が太鼓判を押しましょう。」と言います。患者さんは不思議そうな顔をして、「お願いします。」と言います。すると、柏木先生は隠し持っていた「太鼓判(こういった時のために特注で作った特大のはんこ)」をやおら出して、患者さんに見せます。患者さんは一瞬何が起こったか分からず、きょとんとしていますが、事態が分かって、大笑い。となります。
また、病棟では患者さんが誕生日を迎えられると花束とバースデーカードを送るのが習慣となっていました。ある時、入院中のご高齢の女性が誕生日を迎えられました。その時に用意されていたプレゼントの花束を贈りながら「○○さんの為に花束を贈ります。このかすみ草は丁度○○さんの年齢の数だけ用意しました。」と言うと、大笑いになりました。この話には後日談があり、その次に柏木先生がその方の回診に行くと、「先生、あの後お花の数を数えたら、丁度年の数だけありました。」とその方が言われました。また大笑いです。柏木先生のユーモアが、患者さんの気持ちをも明るくしたのです。
私には柏木先生の様な素敵なユーモアセンスがありません。ある時、私が柏木先生に「先生、どうしたら先生の様なユーモアのセンスが育つのですか。」などと野暮な質問をしました。彼は「思いついたことを、思い切って言ってみることです。そのうちに身についてくると思います。」といったことを言われたと思います。
それから、20年近くが経ったのですが、未だにユーモアに自信がない私です。
ホスピスにこころ研究所 理事長 前野 宏
コラム「前野宏のホスピスのこころ」~第10回~
柏木哲夫先生は終末期の患者さんに「寄りそうこと」が大切であると言われました。そして、「寄りそうこと」は「人間(自分自身)を提供すること」であると言われました。そうなると、提供する「人間(自分自身)」が問題となります。患者さんに差し出す自分自身はどうあるべきなのか。そこで重要になるのは「人間力」であると柏木先生は言われます。
柏木先生は、人間力の要素を10挙げています。それらは
1.聴く力
2.共感する力
3.受け入れる力
4.思いやる力
5.理解する力
6.耐える力
7.引き受ける力
8.寛容な力
9.存在する力
10.ユーモアの力
です。今回はこの中から、「聴く力」についてお話ししたいと思います。
柏木先生は、ご講演の中である精神科の女性の患者さんの事を例にお話しをされました。彼女は病気のために、普段から意味不明のことを話し続けていました。柏木先生が彼女との会話をしている時に、ふと他の患者さんの事を考えていたのだそうです。すると彼女が「先生、私の話をちゃんと聞いてください。」と言ったのだそうです。柏木先生は突然の指摘にびっくりして、すぐにご自分の態度を謝罪したそうです。
しかし、その患者さんは、その返事を聞くか聞かないかのうちに、また元の通り意味不明のお話しをし始めたそうです。そのことを通して、柏木先生は「しっかりと心を込めて聴くということの大切さを、私は患者さんから学びました。患者さんは、精神的にどんなに不安定になっていても、どんな気持ちで聴いてくれているのかを瞬時に見抜く力を持っています。」と言っています。
私もこの「心を込めて聴く」ということを日頃から心がけています。初めてお会いする患者さんの時には特に注意しています。患者さんは新しく出会った医者に対し、「この先生はどんな人なのだろう。優しい人なのか、怖い人なのか。」と、きっとドキドキしていることと思います。恐らく、私の話し方や、態度や目線にまで注目していることでしょう。そして、特に自分のお話をちゃんと聞いてくれるのかどうかについては、最も気にしておられる事と思います。
私は最初に出会う患者さんに対しては1時間くらい時間をかけるようにしています。その大部分は患者さんからのお話を聴くということに費やします。このお話の聞き方については、コミュニケーションスキルの教科書などには「繰り返し」とか「頷き」とか「沈黙」とか技術的なことが書かれています。しかし、最も大切なことは、柏木先生が言われたとおり、「しっかりと心を込めて聴く」ということだと思います。その気持ちは恐らく、相手に伝わることでしょう。結果として、患者さんが「私のお話しをこんなに聴いてくれたのは初めてです。それが一番うれしかった。」と言ってくださることがしばしばあります。ただお話を聴かせて頂いただけなのですが、「ただ聴く」ことの大切さを学ばされます。
ホスピスのこころ研究所 理事長 前野 宏