NPO法人 ホスピスのこころ研究所

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コラム「前野宏のホスピスのこころ」~第15回~

「先生の顔を見ると元気になります」

 

がんの終末期でご自宅で過ごされていた90才台の女性患者Aさんに、ある日の訪問診療の際に言われた言葉です。Aさんはいつも穏やかな微笑を浮かべている素敵なご婦人でした。ベッドサイドに置いてあったポータブルトイレを最後まで使わなかったという何か静かで強いプライドをお持ちの方でもありました。上記の言葉はいつもの訪問診療に伺った時に、Aさんが何気なく言われたのでした。我々終末期医療に携わる医師にとってこれ以上にうれしい言葉はありません。

 

医師の一般的な役割は病気を見つけ(診断)、病気を治し(治療)、もしも病気が治らない状況でもできるだけ長く生きるようにすること(延命)です。しかし、私のように終末期の患者さんに関わっている医師はこれらをしません。もしも若干はするとしても積極的には行いません。なぜなら、私たちは人が尊厳を持って、その人らしく終末期を過ごし、亡くなるということは自然なことであり、大切なことであるという信念を持って仕事をしているからです。

 

ただ、私たちは急性期医療に携わっている医師達のように、患者さんの病気が治った時や患者さんが良くなって退院した時に、「先生のお陰で助かりました。」というような言葉によって感謝されることはありません。私たちが関わる患者さんのほとんどは亡くなられます。つまり、私たちの医療技術が患者さんやご家族から褒められることはほとんど無いのです。

 

しかし、Aさんのようなことを言って頂くことがごくたまにあります。そしてそのような瞬間は、全くこちらが思いもよらない時に、ふっとやってくるのです。言われた方は突然の事なので、ちょっと驚き、そしてちょっと照れくさく、そしてじわっと喜びがやってきます。そんな時、「そんなことを言ってくださるのはAさんだけです。私もAさんにお会いできることがいつも楽しみですよ。」という感謝の言葉が自然と口を出ます。

 

「先生の顔を見ると元気が出ます。」という言葉は私の医師としての医療技術が褒められたのではありません。私という人間存在自身が患者さんにとって安心の元になっていることであり、なんとも光栄でありがたいことなのです。しかし、このような言葉はこちらが計画して、努力して頂けるわけでもありません。何か一生懸命、まじめに医療をしていたら、ある日突然、神様からのご褒美のように与えられるような気がします。

 

私たち患者さんの終末期に携わる医療者は、このような宝物のような一瞬を頂くと、もうこの仕事から足を洗うことはできなくなるのです。

ホスピスのこころ研究所 理事長 前野 宏