NPO法人 ホスピスのこころ研究所

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コラム「前野宏のホスピスのこころ」~第14回~

『産んでくれたことに感謝しています』

 

Aさんは、70才代女性で、がんの終末期になり娘(次女)宅で過ごしていましたが、病状が悪化し、最終段階にさしかかっていました。私はその日も訪問診療を終え、帰ろうとすると玄関先で、次女さんが、「ちょっとお話しがあるのですが。」と話し始められました。「私はこのまま最後まで家で母を看ようと思っているのですが、姉や夫の両親が、『あなたはもう十分にしたのだから、もう入院させた方が良い。』と言うんです。」私は彼女の口調から、これはただならぬお話しだなと思いました。

「実は、私は親からDVを受けていたんです。私の父は私が小さい時に家を出て行ってしまいました。その後、別の男性が母と暮らし始めたのです。私が小学校の頃のことです。その人は私にひどい暴力も振るいましたし、私がお風呂に入っているところに入ってきたり、部屋に勝手に入ってきたりしました。とても怖い思いをしました。でも母は私を助けてくれませんでした。むしろ、「あんたが悪い。」とまで言われました。私が勤め始めた頃には、私の給料を勝手に持っていたりされました。私はいやになって、家を飛び出たのです。」何気なく聞き始めた次女さんの話の内容があまりにもすさまじかったので、私は唖然としてしまいました。

Aさんは北海道の地方都市で一人暮らしをしていたのですが、認知症の症状が出てきたので、札幌で結婚して暮らしていた次女さんが引き取ったのだそうです。Aさんは次女さんのお宅でも結構わがままに振る舞っていたのだそうです。そしてAさんはがんを患い、終末期を迎えようとしている状況で私たちが在宅緩和ケアのために依頼されたのです。

幼い時に親としてはあるまじき振る舞いをした母親に対して、姉や夫の両親が「あなたはAさんには十分にしたのだから、もう入院させなさい。」という気持ちは良く理解できました。しかし、次女さんは話を続けました。「私はここまでやってきて、ここで母を入院させてしまったら、一生後悔すると思います。私は母を恨んでいません。私は今夫と幸せに暮らしています。母が私を産んでくれたことに感謝しています。そうでなければ、私は彼と出会うことがありませんでしたから。」と彼女は穏やかな微笑みを浮かべながら話されました。私は彼女のことばに、ただただ圧倒され、私の目には涙が溢れていました。それから3日後に、Aさんは次女さんのお宅で息を引き取られました。次女さんご夫婦がしっかりとお看取りをされました。とても穏やかな最期であったようです。そして、次女さんからも大きな仕事をやり遂げた満足感と安心感が感じられました。その傍らにはご主人が優しく寄り添っておられました。

 

ホスピスのこころ研究所 理事長 前野 宏