コラム「前野宏のホスピスのこころ」~第8回~
終末期の患者さんとの会話で、特に多く聞かれる言葉が、「家族に迷惑がかかるから」という言葉です。
私は在宅緩和ケアを担当しておりますので、多くの末期がんの患者さんの訪問診療を行っています。病院から退院してこられた患者さんに初めて訪問診療する時に、必ず次のように尋ねます。「今日、退院してくることができて良かったですね。もちろん、できるだけこれからお家で過ごしたいと思っておられると思いますが、病気が進んだ時に人によっては入院したいという人もいますし、それでもできれば家にいたいという人もいます。 Aさんはどちらの方ですか?」そうすると、ある人は「入院はしたくないです。」と言いますし、「・・・」と迷われる方もいます。でも、多くの方は、ちょっと考えて、「家族に迷惑がかかるので、その時は入院かな。」と言います。
先日、70歳代の婦人がお家に帰ってきて、そのように言ったら、そばで聞いていた娘さんが「何言ってるの!お母さん。そんなこと言ったらだめだよ!」と怒りだしてしまいました。娘さんとしてはこれから一生懸命にお母さんを支えようと決意していたのに、お母さんの言葉が水くさく感じたのかもしれません。でも多くの場合、ご家族は患者さんのその言葉を黙って聞いておられます。きっと、「母さんはそんなことを思っていたんだ。ちょっと悲しいな。でも最期まで家で看るのは自信がないな。」と思っていることでしょう。
患者さんは、ご家族に迷惑をかけるので申し訳ない。わがままは言えない。と思い、ご家族は、「何を言ってるの、うんと甘えてほしい。」という気持ちだと思います。患者さんとご家族の気持ちのギャップに私たちそこにいる医療者は、切ない思いを感じます。しかし、多くの場合、患者さんの本音はできるだけ家にいたい。できれば最後まで(死ぬまで)家にいたい、ということだと思います。一方、ご家族はできればそうしてあげたいが、「人を自宅で看取るなんてとてもできそうもない。」と心許ないのだと思います。
終末期医療の基本は患者さんの希望に沿った過ごし方をして頂くことが最善だということです。私たちは初回の訪問の時、患者さんのいないところでご家族と面談します。そこで、私はご家族を励まします。「お家に帰ってきて喜んでおられる患者さんは恐らくご自分から入院したいとはおっしゃらないでしょう。つまり、最期まで家で過ごしたいわけです。ご家族は全く初めてのご経験で、家で人を看取るなんてそんな大変なこととてもできないと思っておられると思います。でも実際に多くのご家族はできていますし、私たちができるだけサポートしますので、大丈夫です。でも、もしもこれ以上お家で看ることはできないという時には緩和ケア病棟への入院もできますから、大丈夫ですよ。」とお伝えします。それでも多くのご家族は不安の中スタートしますが、家で満足して過ごす患者さんを見ていると徐々にそれが良いことだと思えてきて、お世話もだんだん慣れてくると自信もついてくるものです。ご自宅でのお看取りはご家族にとってはご苦労が多いことだと思いますが、患者さんの願いを叶えられたという達成感、満足感は何にも替えがたいものとなります。
ホスピスのこころ研究所 理事長 前野 宏