NPO法人 ホスピスのこころ研究所

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コラム「前野宏のホスピスのこころ」~第7回~

 

『just “being there”』 

 

この言葉は、近代ホスピスの生みの親であるイギリス人、シシリー・ソンダース先生の書いた論文の中の一節です。

「私と共に目を覚ましていなさい(“Watch with me”)」

というタイトルのこの論文は、彼女が近代ホスピスの第1号である、聖クリストファーホスピスを作る2年前の1965年に書かれました。

この論文では彼女が作ろうとしているホスピスに必要不可欠な要素が書かれています。

その中で、こういった一節があります。「例え自分たちには絶対的に何もできないのだと感じた時でさえ、私たちはそこに留まる準備ができていなければならない。「私と共に目を覚ましていなさい」は、結局、唯、「そこにいること」である。(just “being there”)」

終末期の患者さんに対して、私達医療者はできるだけのことをしようとします。

特に、がんによる痛みなどの苦痛ができるだけ緩和出来るように努力します。

しかしながら、いつしか我々医療者のできることには限界が来ます。

もはや、医療者としては万策尽きる時が必ず訪れます。前々回お話ししたAさんの「迷惑がかかるから、もう終わりにしたい。」といった生きることそのものの苦痛(こういった苦痛を「スピリチュアルペイン」と呼びます)に対し、もはや医療者としてできることはないのです。

しかし、ソンダース先生は、「例え自分たちには絶対的に何もできないのだと感じた時でさえ、私たちはそこに留まる準備ができていなければならない。」と言います。つまり、ソンダース先生は、医療者としてできることがなくなっても、(一人の人として)そこに留まらなければならない、と言うのです。

 

第6回のコラムで、柏木哲夫先生は我々医療者は終末期の患者さんに対して、医療技術によって「支える」ことと人間を提供することによって「寄りそう」ことが大切だと言われました。

柏木先生の言われる「寄りそう」が、シシリー・ソンダース先生の言われる”being there”に当たると思います。「支える」ことと「寄りそう」ことはどちらも大切なのですが、肝心なことは両者には順番があるということです。

私達医療者は終末期患者さんの苦痛を医療技術を駆使して緩和しようとします。

しかしやがて来るであろう医療技術の提供の限界に備えて、「そこにとどまる準備ができていなければならない。」とソンダース先生は言うのです。

それが、前回お話しした「信頼関係の構築」であると思います。

シシリー・ソンダース先生と柏木哲夫先生、世界と日本のホスピスの生みの親が全く同じ事をそれぞれの表現で強調しているのは実に興味深いことです。

 

                ホスピスのこころ研究所 理事長 前野 宏