NPO法人 ホスピスのこころ研究所

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コラム「前野宏のホスピスのこころ」~第6回~

『寄りそうこと』

我が国のホスピス緩和ケアの生みの親である淀川キリスト教病院名誉ホスピス長柏木哲夫先生は、終末期患者に対する医療者の態度は二つあると言っています。それらは「支える」ことと「寄りそう」ことです。

 

「支える」というのは技術の提供です。がんの痛みに苦しむ患者さんに対し、オピオイドといった鎮痛薬の投与など医療技術を駆使して症状の緩和に努めます。しかしながらあらゆる医療技術を駆使しても、患者さんの全ての苦痛を緩和出来るわけではありません。特に前回お話ししたAさんのように生きることそのものの苦痛(スピリチュアルペインとも呼びます)に対し、医療技術は無力です。そういった患者さんに対し、柏木先生は「寄りそうこと」が必要であると言います。柏木先生は「支える」ことが技術の提供であるのに対し、「寄りそう」ことは「人間の提供」であると言います。

 

柏木先生は二人の医師を例に出して説明しています。ある麻酔科医は、「患者さんの痛みが取れると困るんです。」と言いました。すなわち、がんの痛みに対してはその麻酔科医は医療技術で緩和することができるが、後から出現する精神的な苦痛やスピリチュアルペインに対しては対応ができないと言うのです。また、ある緩和ケア医は「症状のコントロールができれば私の仕事は終わりです。」と言いました。この医師は医療技術によって症状のコントロールをしようとするが、それ以上のことをするつもりがないのです。この二人の医師に共通して言えることは「技術を提供して支えるが、人間を提供して寄りそうことをしない」ことなのです。

 

「寄りそうこと」は「人間を提供すること」と柏木先生は言います。それでは、「人間を提供する」とはどういうことなのでしょうか。それは私であれば「前野宏」という人間が、患者さんの傍らに存在させていただくことだと思います。でも、患者さんにとって一人の人である「前野宏」がそこにいてほしいかどうかが次の問題です。自分が元気な時であれば、どのような人がそばにいても許容出来るかもしれませんが、がんの終末期のような心身共にしんどい状態ではそうではありません。信頼出来る人はそばにいてほしいけれども、そうでない人はそばにいてほしくないと思います。もはや私は患者さんの許しがなければ、人として患者さんの傍らに存在することができないのです。ですから、我々医療者は、患者さんの信頼を得るために、普段から医療者として誠実に患者さんに係わる必要があるのです。そうすることによって、医療の限界が来ても、一人の人として患者さんの傍らに存在することが許されることでしょう。

 

 ホスピスのこころ研究所 理事長 前野 宏