前野宏のMind and Heart 第5回
「北見便り 研修医の温かい手」
私は2年前から毎週2日間、北見赤十字病院で緩和ケア内科医として仕事をしています。時々北見のお話をしたいと思います。
私は主に外来患者さんを担当しているのですが、今回はある日の外来で出会ったとても印象的だった二人の若い患者さんについて2回に分けてお話ししたいと思います。若いと言ってもお二人とも40代半ばの方です。でも、私達が緩和ケアで出会う患者さんの大部分は70代以上の高齢者ですので、40才代の方はとても若い方なのです。
その日の午前中の外来に見えたのは女性の患者さんです。その方は車椅子に乗って診察室にお母様と一緒に入ってきました。彼女はかぶっていた毛糸の帽子をいきなり取って、あいさつをされました。彼女の髪の毛はほとんどが抗がん剤によって失われていました。彼女の行動はあいさつのために帽子を取ったというより、「自分はこういう者です。」ということを暗に伝えようとされたのかも知れません。そして帽子を取ると同時に彼女は涙されたのです。彼女の心の痛みが伝わってきました。それを見たお母様も泣き出し、診察室は収拾がつかない状態になってしまいました。私はどうしたものかと思いましたが、「おつらいんですね。」と声をかけました。すると「いいえ、ホッとしたんです。」と、ちょっと意外な言葉が返ってきました。彼女は2年前に乳がんの手術を受けたのですが、とても悪性度の高いがんであったらしく、抗がん剤、手術を繰り返しましたが、急速にがんが体中に広がり、痛みの緩和のために緩和ケア内科外来を紹介されたのでした。彼女の涙は2年間の病気との闘いがいかに過酷であったか、そして恐らく受診したくはなかった緩和ケアにとうとう来てしまったという思いが入り混じったものであったと想像されました。現在、外科医が主治医となって化学療法を行っているのですが,主治医からの紹介状では、「今の治療が効果が無ければ、もう積極的な治療は困難」という情報が書いてありましたし、そのことは彼女も分かっているようで、「今度の治療の効果が無ければ、治療は止めるつもりです。」と。「不安や落ち込みはないです。説明はすべて聞きたいです。」と気丈に言われました。
いろいろお話をしているうちに気持ちも落ち着いたのか、もう、彼女の目に涙はありませんでした。「つらさがやわらげば、出来ることはやっていきたいです。」と彼女の気持ちはすでに前を向いていました。その言葉に彼女の覚悟を感じました。
この受診にはもうひとつ小さな感動的なシーンがありました。診察の時、2年目の女性研修医が電子カルテの記載のために患者さんの傍らに座っていました。患者さんが涙された時、すっと手が伸びて患者さんの背中をさすっていたのでした。あまりのさりげなさにすぐには気づかなかったくらいです。患者さんの苦しみに寄りそうこころ、つまりホスピスのこころをこの若い研修医はすでに身につけていたのでした。患者さんの診療の後、同席していた看護師のKさんとその研修医の行動について、「すごいねー」と語り合ったのでした。